12/05/19 「石橋」シテ 於宝生能楽堂

亀井雄二が指導する慶應義塾大学能楽研究会宝生流の生徒たちの感想です。
 能を観るのはこれで三回目である。
 今まで観た経験から、能の動きの中にも比較的速い動きがあることがわかっていたし、直前に見たパンフレットの中に、石橋は激しい動きが多く若い能楽師の登竜門であるといったことが書かれていたので、どんな動きが来るのだろうと楽しみにしていた。
 ところがいざ実際に始まると、予想以上の動きであり、獅子に扮したシテの動きに私は翻弄される一方であった。残念ながらシテの動きを言語化できるだけの語彙を私は持ち合わせていないので、具体的なことを言うことはできないが、それでも台を飛び下りた後に、まったくぶれることなくすぐさますり足へと移行したのには驚嘆を禁じ得なかった。
 たぶん私はこの時、能を観ていたのではなく、獅子しか見えていなかったのであろう。その直後に獅子と目があった。知っている人のはずだったが、そこには獅子しかいなかった。
 私に気を留めることもなく、獅子はまた跳ねていったのだった。
 静寂。謡も囃子も何もない、ただ舞台がそこにあるだけの空間。
 獅子はいつ来るのか。緊張感でいっぱいでした。笛と太鼓の合図。張り詰めた空気を獅子が舞い出て突き破る。胸が高鳴りました。祭りのような獅子舞と、いつも習っている先生だという、二重のどきどきが波打ちました。
 石橋終演後、たくさんの方が先生を迎えており、改めて亀井先生に教わることのできる環境のありがたみを実感しました。私も舞台を楽しんでいただけるよう、お稽古に努めたいと思います。
 いつも雄二先生に稽古をつけてもらっていますが、先生がシテの舞台はあまり見たことがありませんでした。
 能「石橋」を見るのも1年ぶりで、獅子が現れた時はその動きに驚いてしまいました。先生の「石橋」だからと、慶應宝生会全員で張り切って前の席に移動して良かったと思います。
 始まる前は先生の能だと思って獅子の登場を待っていたのですが、いざ獅子が登場すると見入ってしまい、終わってからやっと、今のは雄二先生だったのかと思い出しました。能楽師は、舞台の上では役そのもので、別人になるのだと改めて感じました。
 「石橋」は節目となる特別な演目だと聞いています。稽古をつけていただいている生徒として、先生の能楽師としての一層のご活躍をお祈り申し上げます。
 私にとって、先生がシテをつとめる舞台を拝見したのは、今回の「石橋」が初めてでした。
 先生の猛々しい獅子の舞に、私の目は釘づけになりました。時が流れるのも忘れ、まさに圧巻たる舞でした。特に、荒れ狂う獅子と牡丹の花のコントラストが印象的でした。
 牡丹の花の華麗さが、獅子の乱れに美しさを添え、狂気がある種の芸術に高められていると感じました。また、獅子が牡丹の枝に静止する場面は、動から静に至る張りつめた緊張感を生み出し、観客に感情の変化をもたらすという意味で、効果的な演出になっていると思いました。
 「石橋」での先生の勇ましい舞、その時に自らが感じたものを大切にして、これからも先生のご指導の下、稽古に励んでいきたいです。